矯めつ眇めつ映画プログラム(40)「ロング・グッドバイ」

 腹を空かせた愛猫に起こされ、眠い目をこすりながら明方のスーパーマーケットに餌を買いに行くマーローを冒頭から登場させて、ロマンの香り高い男の友情を描いて世界のチャンドラー・ファンを痺れさせた「ロング・グッドバイ」を原作とは似て非なる作品に仕上げて、賛否両論を巻き起こしたのが、ロバート・アルトマンが1973年に監督した同名作品である。


 この映画には、目深に被ったソフト帽とトレンチ・コートで決めたタフガイは登場しない。清水俊二訳「長いお別れ」を読んで以来私を虜にしていた、マーローの友情の相手、戦場で荒廃した悲劇の男テリー・レノックスも登場しないし、二人の合言葉でもある「ギムレットには早すぎる」の情緒纏綿たる台詞も登場しない。


 ロバート・アルトマンは「ロング・グッドバイ」を、原作の1950年代前半のロスアンゼルスではなく、泥沼化したベトナム戦争で厭世気分が漂う1970年代前半のロスアンゼルスに置き換え、自分の為には男同士の友情すら踏み台にして憚らない、刹那的で荒涼とした時代を描こうとしたのではないかと思うと、確かに、ロマン薫る男の友情が育つ状況ではなかったことを納得する。そう思えば、自分を裏切った友に対する決着のつけ方も原作のように叙情が絡む余地もない。


 それでも、せっかく眠い目をこすって買ってきたペットフードが気に入らずそっぽを向く愛猫におろおろする心優しいマーローや、そのマーローが家から出入りする度に向かいのコンドミニアムからヨガの手を休めて大きく手を振る女性たちを観ると、紛れも無くベトナム戦争時代のウエスト・コーストの風を感じる事が出来た。


 私はチャンドラー狂を憚らない人間で、これまで「三つ数えろ」のハンフリー・ボガード、「さらば愛しき人」のロバート・ミッチャムと渋いタフガイのマーローを見てきたので、手足がやたら長くソフト帽も被らないエリオット・グールドには大いに戸惑ったが、ベストのマーローはロバート・ミッチャムに尽きるとしても、その次となると、気の強いローレン・バコールにタジタジさせられていたボガードよりも、エリオット・グールドの方が気に入っている(写真上はプログラムから、下は文庫の表紙)。