矯めつ眇めつ映画プログラム(29)「知りすぎていた男」

  アルフレッド・ヒチコックが1956年に「知りすぎていた男」を監督した時、田舎の小学生だった私が観ていたのは東映時代劇ばかりで、アラン・ラッドの「シェーン」を観る為に父は私を県庁所在地の映画館まで連れて行ってくれた。しかし、「先の事など、分からない、ケセラセラ」とペギー葉山が歌って大ヒットした曲はよく口ずさんだが、それが「知りすぎていた男」の主題歌とはつゆ知らなかった。


 ミステリー映画の大傑作と評される「知りすぎていた男」は、その「ケセラセラ」が効果的に使われたばかりか、スリリングな緊張感が高まる重要な場面で、金髪の売れっ子歌手ドリス・デイのキャラクターが存分に発揮された作品である。


 学会の帰りにモロッコマラケシュにバカンスで立ち寄ったアメリカ人の医師夫妻が、背中にナイフを刺された男の死に際に謎の言葉を託された事から、ヨーロッパ某国の首相暗殺の陰謀に巻き込まれ、そのうえ医師の口を封じるために息子も誘拐され、夫妻は息子を取り戻すためにモロッコからロンドンに渡る。


 この映画の山場の一つは、首相暗殺の舞台となるアルバータホールの音楽会場面で、医師の妻を演じるドリス・デイが会場を見渡すと、首相の正面のカーテンからわずかにピストルが見える。今、正に、シンバルが鳴ろうとする瞬間に彼女が必死の形相で叫ぶと、動揺した暗殺者の弾が逸れて暗殺は未遂に終わる。


 そして、さらなる山場は、大使館に幽閉された息子を取り戻すために、元ブロードウェイの花形スターだったキャリアを活かして、医師の妻が大使館パーティーのショーで「ケセラセラ」を歌って両親が救出に来ていることを息子に知らせると、息子は口笛で自分の居場所を知らせ、誘拐犯を夫が取り押さえて息子を取り戻すまでのスリリングな場面。


 「知りすぎていた男」は、いつものサスペンス中心のヒチコック作品とは異なり、ドリス・デイの歌を楽しませてくれ、息子を登場させてホームドラの味わいを持たせ、さらには、冒頭の異国情緒溢れるモロッコマラケシュから、ロンドン市内の街並みや貴賓を迎えたアルバータホールの音楽会まで、鮮やかな場面展開で観光気分も満足させてくれる映画である(写真はプログラムから)。