20歳で母の待賢門院を失った悲痛な心境を、 「久安元年8月22日、待賢門院亡せさせたまひにしかば、火をうち消ちて闇の夜に対ひたる心地して、昏れ塞がりてありしほどに、50日過ぎしほどに」と記した雅仁親王は、兄の崇徳上皇から、同居せよ、との仰せ…
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