鳥羽法皇崩御からわずか3日後の保元元年(1156)7月5日、後白河天皇側は崇徳上皇と藤原頼長が反乱共謀を企てたとの容疑で「京中の武士の停止」を打ち出し、出動を命じられた平清盛の次男・基盛が翌6日に藤原忠実・頼長に仕えて京と宇治を往還する大…
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