寿永二年(1183)平家は三種の神器と共に安徳天皇を具して西走した。平宗盛から同行を仄めかされていた後白河院は夜陰に乗じて辛くも延暦寺に逃げ切ったが、朝廷での天皇不在を苦慮して重鎮を招致して対応を協議した。 その結果、故高倉上皇の三宮・守貞…
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