新古今の周辺(72)寂蓮(19)仙洞歌壇(4)『正治院初度百首』

正治から建仁期(1199〜1203)は後鳥羽院の主導による仙洞歌壇が形成されていったが、その最初の催しが正治2年の『院初度百首』で、次いで同年の『院第2度百首』、翌建仁元年(1201)の『院第3度百首』と続き、特に『院初度百首』からは79首が『新古今和歌集』に入集している。


正治院初度百首』での詠進歌人は、後鳥羽院、惟明親王式子内親王守覚法親王、良経、通親、慈円、忠良、隆房、秊経、経家、俊成、隆信、定家、家隆、範光、寂蓮、生蓮、静空(実房)、讃岐、小侍従、丹後、信広の23名、部立は、春20,夏15、秋20、冬15、恋10、羈旅5、山家5、鳥5、祝5の計100首で、詠進期日は8月25日、最終提出日は9月30日とされ、11月23日に中島宮で披講された。

そのなかから、寂蓮が夏部で「花橘」を歌材として詠んだ次の歌を採りあげてみたい。

 軒ちかき花橘のにほひきてねぬ夜の夢は昔なりけり
【現代語訳:軒下近くに花橘の良い香りがして、夏の夜の眠れないときに見た夢は昔のことを思い起こさせてくれるものだなあ】

この歌は『古今和歌集』(巻三・夏139番)や『伊勢物語』などに収められている次の歌を本歌としている。

    題しらず       よみ人しらず
 さつきまつ花橘のかをかげば昔の人の袖のかぞする
【現代語訳:五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔親しかった人の袖の香りを思い出すよ】                

寂蓮はよほど「軒ちかき花橘」の一句が気に入ったのか『寂蓮集』にも次の歌を収めている。

 軒ちかき花橘やにほふらん覚えぬものを墨染の袖
【現代語訳:軒の近くにある花橘は良い香りを漂わせているであろうか、知らず知らずのうちに黒い僧衣の袖となったことよ】

興味深いことは、寂蓮の歌林苑の仲間である小侍従が同じ百首歌で「花たちばな」を歌材に次のように詠んでいることだ。

 吹ききつる花たちばなの身にしめば我も昔の袖のかやする
【現代語訳:風が吹いてきて、花橘の香りが身に強く感じられたので、私も昔親しかった人の袖の香りがすることよ】

何だか、寂蓮と小侍従の相聞歌の感じがするのは私の深読みでしようか。

参考文献:『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版