新古今の周辺(80)寂蓮(27)和歌所(4)『撰歌合』(3)結題

月をテーマとした結題十題五十番で競われた『撰歌合』で、寂連の詠歌は「月多秋友」「月前松風」「河月似氷」の3題が撰歌され、慈円、保季、通具に対して勝3の成績であった。

その中から慈円と対して勝ちとなった「月多秋友」の歌を採り上げたい。

    二番     左勝     寂連
高砂の松もむかしに成りぬべし 猶ゆく末は秋の夜の月
(現代語訳:高砂の尾上の松も長寿であるといっても、寿命が尽きて昔のものとなってしまうであろう。やはり我が君の将来にわたっての友は秋の夜の月であることよ)

    二番     右      前権僧正慈円
君が代のかげにかくれぬ秋なれば 月にちとせを契らましやま
(現代語訳:我が君の御代の光に隠れることのない秋の季節であるので、月に御代の長久であることを約束したであろうに)

    判詞     俊成
右方(慈円)も予め左方(寂連)の歌が良い理由を申していた。判者(俊成)も同様であり左方の勝ちとする。


ところで寂連のこの歌は『古今和歌集』(巻十七・雑上・九〇九番)、『百人一首』(三四番)に入集している次の歌を本歌取りしている。

    (題しらず)        藤原おきかぜ(※1) 
誰をかもしる人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
(現代語訳:いったい誰を友にしたら良いのであろうか。あの高砂の年老いた松も昔からの友人ではないのだからなあ)

ここでの「高砂」は播磨国(現在の兵庫県高砂市)の歌枕。松を詠むことが多く寂連も慈円も、松の寿命の長さを、歌合の主催者である後鳥羽院の長寿を言祝ぐ歌として詠んでいる。

注目すべきは、この「月多秋友」は」『新古今和歌集』(巻七・賀・七四〇番)に、そして「月前松風」も同じく『新古今和歌集』(巻四・秋上・三九六番)に入集しており、さらに「河月似氷」も『新続古今和歌集』(巻四・秋上・四七九番)に入集した事である。

後鳥羽院は『御口伝』で寂蓮を結題の名手と賞賛しているが(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20170401
この『撰歌合』こそは、結題の第一人者寂蓮の面目を施す機会であった。

(※1)藤原おきかぜ:藤原興風。生没年不明。三十六歌仙の1人。日本最古の歌論書の著者藤原浜成の曾孫。『古今和歌集』撰者時代の有力歌人。管弦にも優れ琴の名手でもあった。

参考文献:『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版

     『カラー小倉百人一首』島津忠夫・櫟原聰 編著 京都書房