新古今の周辺(58)寂蓮(5)歌人・中務少輔定長(2)歌合デビュ

在俗時代の定長が詠進した主な歌合は、『平経盛朝臣家歌合』(5首)、『実国卿家歌合』(6首)、『住吉社歌合』(3首)、『公通家十首会』(3首)、『宰相入道観蓮歌合』(1首)、『後徳大寺実定家結題百首』(2首)などがあり、先ずは歌合デビューともいえる『平経盛朝臣家歌合』での彼の詠歌の一端を覗いてみたい。

太皇太后宮亮平経盛朝臣家歌合』

「中務少輔定長」の名で初めて出詠したこの歌合は、仁安2年(1167)8月に、太皇太后藤原多子に仕えていた平経盛(※)によって催されたもので、出詠歌人は24名、判者は六条藤家の藤原清輔、歌題は、草花・鹿・月・紅葉・恋の五題で、定長はそれぞれの題に詠進して結果は勝1・持(引分)1・負3であった。

ここでは、歌題「草花」で平経盛と姻戚関係を持つ六条源家の源有房が萩を、定長が女郎花を詠んで競い、定長が負けの判定を受けた歌と清輔の判詞を採りあげたい。

    左勝  右近少将源有房
萩がはな分けゆく程は古郷へ かへらぬ人もにしきぞをきる

【現代語訳:萩の花の咲く野に分け入って進むうちは、故郷へ帰らない人も錦の衣を着ることだ】

     右   中務少輔定長
声たてて鳴くむしよりも女郎花 いはぬ色こそ身にはしみけれ

【現代語訳:声をあげて鳴く虫の声よりも、女郎花の口に出さないで、心の中で堪え忍んでいることこそわが身に深くかんじることだ】

判詞   藤原清輔

左、よく読まれて侍り、右、いはぬ色とはいかなる色にか、くちなし色と思ひなされたるにや心えがたくや、いかにも左勝にはべるめり。

【現代語訳:左の有房の歌は上手に詠まれている。右の定長の「いはぬ色」とはどのような色であるのか。梔子(くちなし)色と思い込んだのであろうか。理解し難い。まったく左の有房の歌が勝のようにおもわれる】

(※) 平経盛(たいらのつねもり):天治元年(1124)出生、文治元年(1185)壇ノ浦にて戦死、享年62才。平忠盛の三男、長子・清盛は異母兄。平家傍流歌人として藤原俊成・俊恵・源頼政・小侍従らと交流した。

参考文献:『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版