新古今の周辺(54)寂蓮(1)「結題」を巡って 後鳥羽院と定家

「一、 時に難(かた)き題を詠じならふべき也。近代あまりに境(さかひ)に入りすぎて、結題(むすびだい)の哥も題の心いとなけれども苦しからずとて、細やかに沙汰すれば、季経(※1)が一具(※2)にいひなして平懐する(※3)事、頗(すこぶる)いはれなし。
寂蓮は大きに不受せし事也。『無題の哥と結題の歌とたゞ同じようなり、栓なし』と申しき。尤も其の理ある事也。寂蓮は殊に結題をよく詠みしなり。定家は題の沙汰いたくせぬ者なり。これによりて、近代初心の者も皆かくのごとくなれり。結題をばよくよく思ひ入れて題の中を詠ずればこそ興もある事にてあれ、近代の様は念なき事也。必ず必ず詠みならふべき事也』

やや難解な文章だが、これは、後鳥羽院が『後鳥羽院御口伝』で結題を詠むことの重要性と、結題の名手としての寂蓮を讃えた部分である。

さて、後鳥羽院がことさら重視した 結題(むすびだい)とは何か、と、いえば、「池水半氷」のように一つの完結した文をなしている歌題を指し、具体的なイメージを喚起するために『寂蓮法師集』から次の3首を挙げてみた。

〈蝉聲夏深〉
秋風もかよふはかりの梢より 松をはらふや 蝉のもろこゑ

〈蛍火秋近〉
いまはたゝ一夜計や夏むしの もえ行末は秋かせの空

鳥羽院にて五月十五日
〈暁聞郭公〉
ほとゝきす有明の月の入方に 山のは出る夜半の一こゑ

ところで寂蓮の結題を収めた『寂蓮結題百首』の伝本は幾つかあるが、宮内庁書陵部蔵本は外題を『少輔入道定長(寂蓮のこと)百首』とし、跋文(あとがき)、定家の散らし書きで書いた筆跡を濃墨で模したものに、
「そのおりめでたきうたときこえき いま見るにひとつもえりいでがたし 人の心人の心也(【現代語訳:その当時すばらしい歌であったと評判であったが、今見ると一首も選び出すことができない。思い思いの心である】)
と記している。

いずれにしても、『新古今和歌集』に寂蓮の歌が35首入集したことは後鳥羽院の寂蓮への高い評価を実証しているが、あれほど強調した「結題」については、定家が指摘した『寂蓮結題百首』から一首も選ばれなかったわけではなく下記の一首が採用されているが、結果的には「人の心人の心也」との定家の慨嘆は当たらずといえども遠からずだった。

新古今和歌集  巻第十七 雑歌中
1632 山家送年といへる心をよみ侍りける 寂蓮法師

立ちいでて つま木をりこし 片岡の ふかき山路(やまぢ)と なりにけるかな
【現代語訳:長年の間、庵から出かけていっては爪木を折ってきた片岡は 
すっかり深く木々の生い茂った山路となってしまったなあ】

(※1)季経:藤原季経。六条藤家、顕輔の子、清輔・顕昭らの弟。建仁元年出家、承久3年没91才で没。家集あり、『千載和歌集』初出。

(※2)一具:一揃い。題の心を具備した歌とそうでない歌をとを同列に評しての意味か。

(※3)平懐する:平懐は平凡な詩想。で、平懐な歌を詠むの意か。

参考文献:『群書類従』 東京 続群書類従完成會

    『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版

    『新潮日本古典集成 新古今和歌集下』 久保田淳 校注 新潮社