彼方の記憶(8)ファーストクラス搭乗の夫人と同じパックツアーで

1995年に勤務先の2週間連続休暇制度を利用して参加した「東欧・中欧11日間パックツアー」に、ファーストクラスに搭乗する上流夫人が一人加わったので、これまで参加したパックツアーと大きく勝手が違った。

その夫人によると、何でもご主人と一緒に参加するつもりが、仕事の都合がつかなくて彼女だけ参加することになったそうで、あのオリエント急行の宣伝ポスターに出てくるような、ブランドずくめの衣装を身に纏い、大ぶりのバックの他に着替えをたっぷり収納したブランド・ロゴ入り小型トランクを二個持ち込んだものだから、ツアー客全体の面倒を見るはずの添乗員が貴婦人専属のポーターになってしまった。

その事で他のメンバーに迷惑がかかっても彼女は全く気がつかないばかりか、至極当然とおもうところが上流夫人なのかと思ってしまった位だ。

夜は自分の部屋に女性メンバーを集めて、共同弁護士事務所を営む旦那と息子の仕事自慢、家族自慢、さらには、衣装トランクから取り出したスカーフ・宝石などを部屋に広げての自慢話を延々と展開して、まるで、サロンの主の雰囲気だった。

とはいうものの、ツアー全体はすこぶる快適であった。1989年にベルリンの壁が崩れたとはいえ、まだ資本主義経済に組み込まれる状況には無かったので、プラハ、ブタペスト、ドレスデン、ベルリンといった中・東欧都市は古典的な優雅さを保ち、人々もしっとりと落ち着いて魅力的であったし、ウィーン国立歌劇場ではオペラ「薔薇の騎士」も堪能できたから、ブルジョア婦人の振る舞いなど大した問題ではなかったのだ。