源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に歌に詠む人らしく『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。
先ずは、仁安3年(1168)10月に正五位下に加階昇進したときの喜びから、
正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとよりよろこびいひつかはすとて、
和歌の浦に立のぼるなる波の音は こさるる身にも嬉しとぞ聞
頼政の返し
いかにして立のぼるらんこゆべしと 思ひもよらぬ わかの浦波
さらに2ヶ月後に六条天皇より念願の内昇殿を許された時の喜びを、
かくてのみ過る程世はかはりて、当今(とうぎん)の御とき殿上ゆるされて これかれより悦の歌よみて遣はす
まことにや こがくれたりし山もりの いまはたちいでて 月をみるなり
しかし、60歳にして手にした加階・内昇殿も、自分の子供や孫の世代の平氏の一族が我が物で清涼殿を往き来する姿を見るにつけ、喜びも次第に薄れほろ苦さが加わる心情を
歌林苑(※2)の仲間の藤原資隆からの祝い歌
位山のぼるにかねてしかるべき 雲の上までゆかんものとは
頼政の返し
翁(おきな)さび はふはふのぼる位山 雲踏むほどにいかがなるらん
中宮の大盤所よりの祝い歌
くらい山高くなりぬと見し程に やがて雲居にのぼるうれしさ
頼政の返し
のぼりにし位の山も雲の上も 年の高さにあわずとぞ思う
位階・昇進を手にしたとはいえ周囲を比べればいかに自分のそれが遅れているかを思うと喜びも半ばであろうが、こうして昇進を喜んでくれる人たちがいるということに頼政の人望が忍ばれる。
(※1)隆信:藤原隆信(1142〜1205)平安時代末期から鎌倉時代初期の歌人として知られ、頼政とは歌林苑の仲間でもあった。他方で宮廷画家として似絵(にせえ、肖像画)の名手として重用され、
国宝「伝源頼朝像」(京都神護寺蔵)http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20150515、
及び知恩院所蔵の「隆信の御影」とよばれる法然上人像http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20090904 を残している。
(※2)歌林苑:六条家の俊恵(1113〜?)が白川の僧坊に開いた歌会グループの称。民間の和歌所として〔和歌政所〕とも呼ばれたこともあった。1156年頃から20年に亘って、源頼政・藤原隆信・賀茂重保寂蓮・藤原清輔・鴨長明・二条院讃岐・殷富門院大輔など地下の僧俗が集まりメンバーを会衆(えしゅう)と呼んだ。毎月例会の歌会を開く他に、会衆の送別の会や柿本人麻呂の絵を飾って〔人麻呂影供〕など臨時の歌会をしばしば催した。