次の歌は「大原の三寂」のひとり、寂然法師(※1)と源頼政の父・仲政との間で交わされた歌である。
父なくなりて後、常盤の里に侍りける比、やよひばかりに源仲正(仲政)が許に遣しける
寂念法師
春までもとはれざりける山里を 花さきなばと何思ひけむ
返し 仲正
もろともに見し人もなき山里の 花さへかくてとはぬとをしれ
ところで「大原の三寂」とは、平安末期の歌人・藤原為忠の子、藤原為業・藤原為経・藤原頼業の三兄弟が官位を捨てて出家をし、それぞれ寂念・寂超・寂然と名を変えて歌人として名をなし、「大原の三寂」、あるいは父の常磐山荘に因んで「常磐の三寂」と称せられたもので、寂然はその長兄であった。
寂念の父・藤原為忠は鳥羽院の乳母子(※2)で、和歌を熱愛するあまり紀貫之の職ならばと木工権頭を乞うて任じられ、共に鳥羽院の厚い信を受けていた仲政とは歌を通して強く結びつき、最も多く仲政の歌を留めるものとして『丹後守為忠朝臣家百首』と『木工権頭為忠朝臣家百首』の歌合が挙げられる。
さて、ここで、藤原為忠家の歌合が開催された常盤山荘に仲政が息子頼政を伴って参加した折りの歌を取り上げてみたい。
沼水杜若(かきつばた) 仲政
人すまぬあら野の沼をたが為と かこひてさけるかきつばたかも
杜若 頼政
さらぬだに行かたもなき沼水の めぐりにたてるかきつばたかな
夏月 頼政
庭の面はまだかはかぬに夕立の 空さりげなく澄める月かな
雨後月 仲政
しぐれつる雲のぬれぎぬぬぎすてて 心清くも澄める月かな
歌を介して「父子相和す」何とも羨ましい姿ではないか。まさに「父子相伝!!」。
(※1)寂念法師(じゃくねんほうし):平安時代後期の歌人、生没年未詳。俗名は藤原為業(ためなり)。寂超・寂然の兄。『千載和歌集』以下の勅撰集に6首入集。
(※2)乳母子(めのとご):乳母の子