新古今の周辺(33)鴨長明(32)歌論(4)古風を尋ねて幽玄の美

当時の歌人によって生み出された幽玄の歌風に対して、中頃の歌を良しとする歌人たちがどのように反応したかを鴨長明は『無名抄』で次のように述べている。

71 近代の歌体 4

歌の道がゆきづまるなかで、今の歌人は歌が世につれて詠み古されることを知り、あらためて古い歌の古風な詞と趣向を観念の世界で組み直して「幽玄(※1)」の美を見出したのである。

このように幽玄を新しい美の理念として打ちだす今の歌人の動きを知って、中頃の歌を是とする歌人たちは驚きに目を剥き非難し嘲笑ったのであった。

しかし、歌に対する思いがひとつであるなら、歌の上手と秀歌は中頃の歌風であれ、今の頃の歌風であれ対立するものではない。

世に言われる中頃の歌人の清輔(※2)・頼政(※3)・俊恵(※4)・登蓮(※5)などが詠んだ歌は、今の頃の歌風を良いとする人たちにも捨て難いものだ。また今の頃の歌風であっても、よく詠みこまれた歌であれば誹謗・中傷はおろか嘲笑することはできないだろう。見かけは良くても中身の乏しい歌に至っては誰にとっても良い歌と受け止める事はできまい。

中頃のそれほどでもない歌を今の頃の歌と比べてみると、美しく化粧した人たちの中に化粧気のない尼が交じっているようなものだ。

また、今の頃の深い意図も込められていない出来の悪い歌では、聴く人の共感が得られないだけでなく、歌の道に対する心構えの無さも甚だしい。そうであれば、中頃の歌、あるいは今の頃の歌の何れかに肩入れしてどちらが優れているかを論じること自体に意味はないであろう。

(※1)幽玄(ゆうげん):鎌倉・室町時代の和歌・連歌・能などで用いられた文芸上の理念。ことばに表しきれない奥深い美をいう。幽玄という語は、元来中国の仏教や老荘思想で教義の奥深さを示すものであったが、わが国では平安時代後期に藤原俊成によって象徴美を表わす美的理念として唱えられ、それ以降、文芸・芸能方面での美の奥深さを示す語として用いられている。

(※2)清輔:藤原清輔(ふじわらのきよすけ)。平安時代後期の歌人。中古六歌仙。父藤原顕輔の死後六条家の中心として活躍し、御子左家を代表する藤原俊成と並び称せられた。歌集『清輔朝臣集』。歌学書『袋草紙』『奥義抄』。『千載和歌集』以下の勅撰集に94首入集。『新古今和歌集』に12首入集。

(※3)頼政源頼政(みなもとのよりまさ)。平安時代後期の武将・歌人清和源氏、源三位入道とも。治承四年(1180)に以仁王を奉じて平家討伐の兵を挙げるも敗れて77歳で自害。家集『源三位頼政集』。『詞華和歌集』以下の勅撰集に61首入集。『新古今和歌集』に3首入集。

(※4)俊恵(しゅんえ):平安時代後期の歌人。『俊頼髄脳』で著名な源俊頼の息子。父の死後東大寺の僧となり京都白川の自邸を歌林苑と称して広い層に亘る数多の歌人が自由な雰囲気で歌を詠む歌壇を形成した。鴨長明の歌の師。中古三十六歌仙。御子左家とは別の形で新古今歌風の樹立に影響を与えた。歌集『林葉和歌集』。『詞華和歌集』以下の勅撰集に49首入集。『新古今和歌集』に12首入集。

(※5)登蓮(とうれん):平安時代後期の歌人。出自生没年未詳。90歳頃まで生きたとされる。中古六歌仙。家集『登蓮法師集』。『詞華和歌集』初出。『新古今和歌集』に1首入集。『無名抄』「16 ますほのすすき」で真の数寄者と長明に称えられる(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20150601)。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫