隠居のHarvard Summer School 留学記(4)

2004年7月1日(水)

今日の初めて出席した授業でわかったIEL(Institute for English Language Programs)level Bの授業構成と内容は次のようなものだった。

【Integrated Skills Class】

(月〜金)9時〜11時の「Integrated Skills Class」の私のクラスはイラン人女性のMa先生の指導の下に、日本からは私を含めて3人、台湾から4人、タイから1人、インドから1人、ベルギーから2人、イタリアから1人、アルゼンチンから1人の7カ国13人が机を並べることになった。その内男性は5人で女性8人、年齢階層では2人のベルギー人の18歳の男子大学生と60歳の私を除くと、20代から30代後半のビジネスパーソンが大半だった。

また、授業の進め方は下図の教科書・VTR・論文及びMa先生作成の教材をベースに、文法、発音、語彙の修得、プレゼンテーション発表、英文作成を通しての英語ひょげん力の習得、小説を通して読解力を養うなど総合的な英語力の修得を目的としている。
           
英文法の教科書 

   

英文作成の教科書    
   

発音の教科書

小説「モンタナ1948」

「Integrated Skills Class」授業で通ったSever Hall

        
                         
【Work shop】
      
(月〜木)13時〜15時のWork shopは私の属するLevel B-1の学生と、ドイツ系女性Mo先生が担当するLevel B-2クラスとの合同で行われ、時にLevel Aの5〜6人の学生が加わる事があり、その場合は、国籍もギリシャ、韓国、ブラジル、ベトナム、トルコ、香港が加わり30人近い陣容になった。

授業の進め方は、美術館・博物館など近郊施設の見学、報道記事や報道番組VTRなどのトピックスやイベントを元にしたグループディスカッションやチームによるプレゼンテーション発表を行いながら英語表現力を養う事が主眼が置かれている。

「Workshop」で通ったBoylston Hall


 
【Plenary Lecture Series=金曜の午後】

(金)13時〜15時に行われる「Plenary Lecture Series」はIレベルE〜Aまでの英語研修を受講する全ての学生が一堂に会して、Harvard 教授の専門分野のレクチャーを受ける授業である。


 

入学手続きの際に配布されたPlenary Lecture Seriesの全講義資料は私の掌に近い厚さのずっしりとした手ごたえの冊子だった。現存しているメモからテーマを列挙すると

・The New Politics of Higher Education
・Due Process of Law and Captured Enemy Combatants
・WHY WE RUN
・BUSIDO The Warrior’s Code
・THE BOOK NOBODY REAL
・About Maya Cultural Activism in Guatemala

等であった。

Plenary Lecture Seriesで通ったEmerson Hall


            
【野心家達の末席に】

40年近い会社員生活を定年で終えて、都会の片隅でのんびり暮らす生活を始める積りであった。しかし、クラスメートや寮仲間を通して見えてきたことは、たかだか2ヶ月間の短期間とはいえ、さすがに世界に冠たるブランドに惹きつけられて世界中から参加してきた学生達は野心家というか上昇志向が極めて強い。

私の属するレベルBでは、全体的にアジアの学生の比率が高いが、ヨーロッパからの学生も思ったより多い。統合以来のEU圏は公用語に英語を使う企業が増加していることもあって、より良いポジションを獲得するには英語力が不可欠という雇用環境が出来上がっていることも影響しているのであろう。

アジアから参加した学生達は、私を除いた全てが20代後半から30代前半の男女である事を考えると、彼らの参加目的も、高給と高いポジションのキャリアを目指していることは一目瞭然である。

IEL(Institute for English Language Programs)が第二外国語としての英語を習得するプログラムであることもあって、Work shopも含めて一通り見渡した限りでは、きちんとした発音の人を見出すのは難しく、むしろ国籍の数だけ英語の発音と文法と語彙があるようにおもえる。何を言っているのかサッパリ解らないので、聞いているだけでストレスが溜まる位だ。

その聞き取りにくい発音をさすがに教師達は聞き分けているのに感心する。そして彼女たちは学生の発音や文法をいちいち訂正したいしないだけでなく、ブロークンでもなんでも積極的に口を開く事を後押ししている。


ここでの英語研修は、正確できれいな発音の英語を理解することを目的としていない。多様な英語でコミュニケートする事を目的としている。つまりコミュニケーションの為の英語であって、お勉強の為の英語ではない。私が予想していたのはお勉強のための英語だったのだと改めて思い知った。

考えてみれば、これからの世界はローカル英語の時代だ。それぞれの国、地域で使われる英語は、発音はまちまちである。そして、これからは、働く人も、学者も、学生も、ボランティアに関わる人も、そういう現実を生きてゆくのだ。今のところ、文法も大して重視していない。自分の意見を積極的に述べ、相手の意見を聞き、相互に理解してゆく事にポイントが置かれている。

どうやら、ここでは、片隅でのんびり生きようとする人間なんてお呼びではないようだ。私は、大好きなボストンで暫く滞在したい、そして英語の勉強をしたい、それだけの動機で、明確な目的も無く参加したが、今はとんでもないところに来たような気がしている。