隠居のHarvard Summer School 留学記(1)

私は2004年5月31日に40年近く勤務した会社を定年退職して直後の6月26日から開講のHarvard Summer School のEnglish Language Programを受講した。

定年退職後は気分転換にボストンで2カ月ほど暮らしたいと思っていたのだが、シティホテルに宿泊するとなるとそれだけで予算オーバーとなる。
そこでSummer Schoolを経てKennedy Schoolへ進んだ年下の友人に相談すると「だったら三食屋根付き、英語授業料込で80万円位でカバーできるHarvard Summer Schoolにすれば」との進言に飛びついたのである。因みに当時の為替レートは1ドル110円前後であった。

あれから11年を経た今、還暦を迎えた身でKazuと呼ばれて、国籍も肌の色も様々な18歳から30代後半の若い世代と机を並べて切磋琢磨した日々は自分にとって何だったのか、当時の日記とクラスメートから寄贈された写真で振り返ることにした。

入学案内と費用内訳 
 

   

2004年 6月26日(土)

【入学手続き】

今日は入学手続きなので朝8時にホテルを出て地図を片手にキャンパス内のサマースクール事務所に向かうと、年代・国籍・肌の色もさまざまな学生たちが空港から直行してきたと思われる大きなリュックややスーツケースを抱えて長い列を作っていていた。

手続きは、先ずアメリカ大使館から発行されたI-20学生ビザ手渡して参加者名簿と照合する事から始まり、カード型の学生証と部屋の鍵、そして様々なガイダンスや資料を受け取って終わった。

後はキャンパス近くの宿泊ホテルから寮に荷物を運びこむだけだが、その前に近くを流れるチャールズ川のほとりを散歩した。私はボストンに来るたびにこの川辺を散歩するのが好なのだ。ゆったりと流れる川面を眺めているだけで気持ちが落ち着く。そしてこの後、何度もこの川のほとりに佇むことになる。
 
           

【広い続き部屋を独占】

これからの2か月間私が寝起きする部屋は、チャールズ川に近い古典的な建物であるカークランドハウスG棟の一階に決まった。広い中庭をロの字型にA棟〜G棟の三階建ての建物が囲む、キャンパス内の寮の中でも最も規模が大きく、今回のSummer Schoolでは25歳以上の学生が暮らすことになったそうだ。

私にはベッドルームと広い続き部屋の他に大きなバスタブとトイレを備えたスイートが専用で割り当てられた。多分学校当局が敬老精神で遇したものであろう。

ベッドルームにはベッドとマットレスに大学のロゴ入り毛布と枕、勉強机と椅子の他に備え付けの書棚とクローゼットがあり、さらに続き屋には暖炉とアンティークな木製の幅広の5段チェストと、作り付けクローゼットが3つも備わっていた。

ベッドルームと暖炉のある続き部屋

 

         
 
早速、部屋に繋がっているLANケーブルに日本から持ち込んだLet's noteを接続してメールの確認をする。ネットは自動的に大学ネットに繋がるが、受信メールは読めても、発信メールは全部エラーになる。どうやら、大学構内のコンピューターセンターにPCを持ち込み、担当者にネットワークの設定をしてもらう必要があるようだ。

【カフェテリア】

三食を賄うカフェテリアは寮から徒歩10分の、アネンバーグホール呼ばれる古典的な大教会の1階に設置されている。窓に嵌め込んだカラフルなステンドグラス、高い天井から垂れるシャンデリアが荘厳な雰囲気をかもし、食事中も観光客が後を絶たない。

食材はさすがに農業国アメリカ、肉・野菜・果物・穀類ともに種類が豊富で、世界各国から集まった学生の胃袋を満たすためにメニューも多彩だ。

この食事のシステムの難と言えば、長い列に並ばなければならないことと、午後7時までに入館しないと夕食を食べ損ねる恐れがある事だが、勉強に専念できる環境としては望ましいといえる。

アネンバーグホールと食事風景