新古今の周辺(23)鴨長明(23)秀歌と5年の命を取り替えた男

神に自分の命と何かを取り替えた人間の話は幾つか伝わっているが、優れた歌を詠ませてくれるなら自分の5年分の命と取り替えてもよいと神に祈った男の話を鴨長明は『無名抄』で次のように記している。

80 頼実が数奇のこと

左衛門尉蔵人源頼実(※1)は大層な数寄者です。彼は和歌への執心が深く、住吉明神(※2)に「私の5年の命を差し上げますから秀歌を詠ませてください」と祈願したのです。

それから年月を経て頼実が重病を患った時、「どうぞ私の命を助けてください」と祈願したところ、かの住吉明神の霊が使用人の女性に憑依して「以前にそなたが秀歌を詠むことが出来たら5年の命を召すと祈願したのを忘れたのか。お前が

木の葉散る宿は聞き分くことぞなきしぐれする夜もしぐれせぬ夜も
【現代語訳】:木の葉が散る宿では聞き分ける事が出来ません、しぐれの降る夜も降らない夜も。しぐれも落葉と同じようにさびしい音をたてますから、

の秀歌を詠めたのは、そなたの願いを私が叶えたからだ。だから今度の願いを叶える事は出来ないのでお前の命が助かることはないぞ」と仰せられた。

ところで、この話は幾つかのバリエーションを伴って伝わっており、例えば藤原清輔(※3)が保元2年(1157)年に著した歌学書『袋草紙』では、源頼実が和歌に執心するもののゆきづまって住吉明神に参詣し、秀歌を一首詠ませて戴ければ命を召すと祈願したのち、西宮で「木の葉散る」の歌を詠んだものの彼は秀歌とは思はず、その後再び住吉明神に秀歌を祈願すると、夢の中に現れた住吉明神が「木の葉散る」で秀歌を詠んだではないか」と告げ、その後頼実が六位に至った時夭折したと記している。

他の説話は大半が「無名抄」と内容は同じだが、中には住吉明神が頼実の家の7〜8歳になる子供に憑依して、秀歌のために命の半分を召しますと祈願した彼に、本来60歳まである寿命を「木の葉散る」で秀歌を叶えさせたと告げると、頼実は心安らかに30歳で死んだとの話も伝わっている。

(※1)源頼実(みなもとのよりざね):清和源氏左馬権頭頼国の息子。蔵人を経て左衛門尉従五位下に至る。享年30歳。

(※2)住吉明神大阪市住吉区住吉町にある神社。航海の神、和歌の神として信仰された。

(※3)藤原清輔(ふじわらのきよすけ):平安時代後期の歌人藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の子。父の死後六条家の中心歌人として活躍し、御子左家の藤原俊成と並び称された。『千載和歌集』以下の勅撰集に94首入集しているが、後鳥羽院歌壇では顧みられなかった。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫