新古今の周辺(19)鴨長明(19)瀬見の小川(1)ドタバタ判定

鴨長明の『無名抄』には歌合で長明が詠んだ「瀬見の小川」についての判定のドタバタとその余波が描かれているので、まず歌の判定を巡るドラマから紹介したい。

11 瀬見の小川のこと(前半)

源光行(※1)が主催した賀茂社(※2)奉納の歌合に参加して「月」の題で、

石川や 瀬見の小川の清ければ 月も流れをたづねてぞ澄む
【現代語訳:石川の瀬見の小川が清らかなので、月もその流れを探し求めて川面に宿り、澄んでいるよ】

と詠みましたところ、判者の師光入道(※3)が「こんな川があるものか」と批判して判定は負けとなりました。

私としてはそれなりに考えるところがあって詠んだものですから、こういう結果に不審を抱いていたところ、「あの時の判者は総じて納得できないところが多かった」ということで、改めて顕昭法師(※4)に判定させ直したところ、私の歌については、「『石川・瀬見の小川』という言葉を耳にしたことはないが、言葉の続け方に趣があるので、こういう川があるかどうかを土地の人に確認してから判定したい」と決着を先送りにしました。

その後、私が顕昭にお会いした時にこの歌に触れて「『石川・瀬見の小川』は賀茂川の別名で、当社(賀茂神社)の縁起(※5)にあります」と申し上げたところ、顕昭は「あの時に強く批判しないで良かった。我ながら上手く難を逃れられた。とはいえ、私のような歌人達も聞き及ばない名所もあるかと思ったので、ややもすれば批判して負けにするところであった。あれが誰の歌かは知らなかったのだが、歌の様子が良かったので批判を控えてあのような理由で白黒をつけませんでしたが、これも経験を積んだ老人の知恵です」と申しておられました。

(※1)源光行:平安末期から鎌倉前期の歌人清和源氏源光遠の息子、大和守・河内権守となり正五位下に至る。源氏物語の研究をし、同物語河内本の伝来に関わった。享年82歳。

(※2)賀茂社:「賀茂社」は上賀茂神社(賀茂分雷神社)と下鴨神社賀茂御祖神社)の総称。

(※3)師光入道:源師光。平安末期から鎌倉初期の歌人。生没年未詳。村上源氏、大納言師頼の息子で、新古今歌人源具親宮内卿の父。右京権太夫正五位下に至るも出家して法名を生蓮とした。

(※4)顕昭法師:平安末期から鎌倉初期の歌人。生没年未詳。藤原顕輔の猶子で俊成・定家が代表する御子左家に対抗した六条家の歌人・清輔の義弟。仁和寺に入り法橋となる。

(※5)賀茂神社の縁起:どのような縁起か、未詳。但し、「石川・瀬見の小川」の名の起源は、本朝月令・袖中抄・釈日本紀などに引く山城国風土記逸文によって知られる。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫