新古今の周辺(12)鴨長明(12)歌合(4)優なる会

歌合も様々で、長明は優雅な歌合のありさまを師の俊恵の言葉を通して「無名抄 53 範兼の家の会優なること」に次のように伝えている。

俊恵が語るには

「宮中や摂関家などで催される晴れの場の歌合を別にすると、優雅さにおいて、近ごろでは範兼卿(※1)の家で催された会に及ぶものはない。

これは、主催側の主人が相当な人柄で、参加者へ気遣いが半端ではなく、心配りが行き届いていること、歌についても人に劣ることを恥じて日頃から執心し、歌合の席では褒めるべきは褒め批判すべきは批判する見識を備えているからである。

また、場の雰囲気に少しもみだりがましい事がないので、参加者も心おきなく何とか良い歌を詠いたいという気にさせられるから結果的に良い歌が生まれ、ちょっと気の利いた趣向を思いついたりすると披瀝してみようという気にさせられる。

前もって歌題が出されている時は、皆それぞれに作った歌を懐中に備えているから、徒に時間を空転させることはなく、また、その場で歌題が出される場合は、各自があちらこちらの片隅に身を引いて熱心に歌を案じている姿は何とも優雅で、そういう状況の中では、それほど大したことのない歌を詠んでも雰囲気に引き立てられて美しく聞こえるものです」

さて、ここで、新古今和歌集から、俊恵が優雅なる歌合の亭主と評した刑部卿範兼(ぎやうぶきやうのりかね)の入集歌から4首を披露したい。

巻第二 春歌下 
花落ちて 客稀(まれ)なり ということを   

125 花散れば とふ人まれに なりはてて いとひし風の 音のみぞする
【現代語訳:花が散った今は訪れる人もすっかりまれになり 嫌っていた風の音ばかりするよ】

巻第七 賀 歌
二条院(※2)御時 花喜びの色有りといふ心を 人々つかまつりけるに 

732 君が代に あへるはたれも うれしきを 花は色にも 出でにけるかな
【現代語訳:わが君の御代に遭うことができたのはだれも嬉しいのですが、花はその喜びの色を表に表してこのように美しくさいているのですね】

巻第十四 恋歌 四
二条院御時 艶書(※3)の歌めしけるに 

1295 忘れゆく 人ゆゑ空を ながむれば たえだえにこそ 雲も見えけれ
【現代語訳:わたしを忘れてしまったあの人を思って空をじっと見つめると、雲もとぎれとぎれにみえます】

巻第十六 雑歌上
三井寺にまかりて 日ごろ過ぎて帰らむとしけるに、人々なごりおしみてよみ侍りける   

1502 月をなど 待たれのみすと 思ひけむ げに山の端(は)は 出でうかりけり 
【現代語訳:今までどうして、月を人に待たれるものとばかり思っていたのでしよう。自分自身山に入ってみると、名残惜しくて本当に山の端からは出にくいものだとわかりました】

(※1)藤原範兼(ふじわらののりかね):貞嗣流、刑部卿従三位。59歳没。新古今和歌集に6首入集。

(※2)二条院:第78代の天皇後白河天皇の皇子。

(※3)艶書(えんしょ):恋文に書く歌。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫

     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社