新古今の周辺(11)鴨長明(11)歌合(3)判者の依怙贔屓

歌合に判者は不可欠だが、どんな名判者でも依怙贔屓をすることを、鴨長明は当時の歌人顕昭(※1)の言葉を用いて『無名抄 61 俊成・清輔の歌の判、偏頗あること』で次のように伝えている。

「この頃の歌合の判者として俊成卿(※2)と清輔朝臣(※3)は並ぶべきものがないが、ともに依怙贔屓をする判者でもある。ただし、そのやり方に違いがあり、

俊成卿は自分が誤った事もすることを知っている様子で、相手方からの批判に議論することもなく「まあ、世間一般の習わしということであるから、それでなくてもどうして悪い事であろうか」などと収めてしまうひとである。

他方の、清輔朝臣は、見た目は清廉な顔つきをして依怙贔屓していることをいささかも表情に出さず、たまに誰かが自分の判定に首を傾げたりすると顔色を変えて激しく議論をするので、人々はその事をわかっていて一向に異を唱えようとしなくなりました」

顕昭のこの評価が実体験から生まれたものと思えるのは、顕昭が清輔の義理の弟にあたっていて日頃から義兄を観察できた事(※1参照)、さらに俊成に対しては「六百番歌合」(※4)に連なった時、判者の俊成に対して「顕昭陳状」を提出している事からも推測できる。

ここで当代の名判者と歌われた藤原清輔と藤原俊成の歌を味わうために、以下に「新古今和歌集 春歌上」からそれぞれの歌を1首ずつ採りあげてみた。

    崇徳院に百首歌たてまつりける時   藤原清輔朝臣
34 あさ霞 ふかくみゆるや けぶり立つ 室(むろ)の八島(やしま)の わたりなるらむ
【現代語訳:朝霞が深く見えるのは、水煙が立つ室の八島の あたりなのであろうか】

    刑部卿頼輔(ぎやうぶきやうよりすけ)、歌合し侍りけるに、よみてつかはしける  皇太后太夫俊成
59 聞く人ぞ 涙はおつる 帰る雁 鳴きてゆくなる あけぼのの空
【現代語訳:わたしの方こそ涙がこぼれるよ、雁が春の曙の空を鳴きながら北国へ帰ってゆく声を聞くと】


(※1)顕昭(けんしょう):俗姓は藤原末茂流、顕輔の猶子となり清輔の義弟。法橋、新古今和歌集2首採用。

(※2)俊成卿(としなりきょう):藤原長家流、父の死により藤原顕籟の養子となる。定家の父。皇太后宮大夫従三位法名:釈阿、
    91歳没、新古今和歌集に72首採用。

(※3)清輔朝臣(きよすけあそん):藤原末茂流、顕輔の息子、顕昭の義兄。太皇大后宮大進正四位下、74歳没、
    新古今和歌集に12首採用

(※4)六百番歌合(ろっぴゃくばんうたあわせ):建久4年(1193)秋、藤原良経の家で行われた六百番の歌合。判者は俊成、
    歌人藤原家隆・定家・顕昭・寂蓮ら12名。この中から34首が「新古今和歌集」に採用された。
    歌を詳細に批評した俊成の判詞に対して顕昭は反駁を加えて「顕昭陳状」を記した。

参考文献:『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫
     『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社