「新古今の周辺」を始めるにあたり最初に鴨長明を取り上げ、「方丈記」の怜悧な観察者とは異なった歌人長明の人間性を探ってみる事にした。
先ずは「新古今和歌集」で「鴨長明(かものながはる)の歌」として入集されている次の10首を味わってみたい(和歌並びに【】内の現代語訳は下記参考文献に依拠)。
巻第四 秋歌上
366 秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ ただわれからの 露の夕暮
【この夕暮れ、人によってその袖に秋風が吹いて来たり来なかったりという違いはないだろうに、私の袖だけが露(涙)に濡れている。それは、ただ私自身の心のせいなのだ】
397 ながむれば ちぢに物思ふ 月にまた わが身ひとつの 峯の松風
【じっと見つめるとあれやこれやと思い悩ませる月に、さらにまたわたし一人をさびしがらせるかのように、峰の松風の音が響いてくるよ】
401 松島や 潮くむ海人(あま)の 秋の袖 月は物思ふ ならひのみかは
【月は物思う人の袖にのみ宿る習いだろうか。いや、松島の潮を汲む秋の海人の袖にも宿るよ】
巻第十 羈旅(※1)の歌、
羇中ノ夕といふ心を
964 まくらとて いづれの草に 契るらむ 行くをかぎりの 野べの夕暮
【枕として、今宵はどの草と一夜の契りを結ぶのだろうか。行けるところまで行こうと思っているうちに、どこまでも野原が続いていて、もはや夕暮れとなってしまった】
983 袖にしも 月かかれとは 契りおかず 涙は知るや 宇津の山越え
【袖にまでこんなふうに宿れなんて月と約束はしなかったよ。涙よ、なぜ袖に宿っているのかそのわけを知っているのかい、宇津山の山越えの路で】
巻第十三 恋歌 三
1202 たのめおく 人も長等(ながら)の 山にだに さ夜更けぬれば 松風の声
【訪れをあてにさせる人はいないとわかっているこの長等の山でさえ、夜が更けてゆくと、松風の声がさびしく聞こえてきます。心の底ではやはり待っている人の訪れと思い違いさせるかのように】
巻第十四 恋歌 四
題しらず
1318 ながめても あはれと思へ おほかたの 空だにかなし 秋の夕暮
【じっと空を見つめて、わたしのことをかわいそうだと思いやってください。世間一般の人にとってさえ、秋の夕暮れの空は悲しいもの。まして、恋に沈んでいるわたしにはどれほど悲しいことでしよう】
巻第十六 雑歌 上
和歌所(※2)歌合に深山ノ暁月といふことを
1521 夜もすがら ひとりみ山の 真木の葉に くもるも澄める 有明の月
【夜通しひとり深山で見ているわたしの涙に曇りながらも、真木の葉の上に澄んでいる有明の月の光よ】
巻第十八 雑歌 下
身の望みかなひ侍らで 社(やしろ)のまじらひもせでこもりゐて 侍りけるに 葵(あふひ)をみてよめる
1776 見ればまづ いとど涙ぞ もろかづら いかにちぎりて かけ離れけむ
【もろかずらを見るといよいよ涙がもろくこぼれ落ちるよ。いったいどのような前世の約束で、わたしは賀茂の御社と離れてしまったのであろうか】
巻第十九 神祇歌
鴨社歌合とて 人々よみ侍りけるに 月を
1894 石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを たづねてぞすむ
【石川の瀬見の小川は清らかだから、月もその流れを尋ね求めて、そこに澄んでいるのであるよ。この川は清浄なので、その地に賀茂の御社は鎮座しておられるのだ】
(※1)羈旅(きりょ):旅、または旅人。和歌・俳句の部立のひとつ。旅に関する感想を詠じたもの。
(※2) 和歌所(わかどころ):建仁元年(1201)7月に後鳥羽院が院御所に設置した役所。寄人(よりうど:職員)として、源通具(みちとも)・藤原有家・藤原家隆・藤原定家・寂蓮など錚々たる歌人とともに鴨長明も選ばれた。
参考文献:『新潮日本古典集成 新古今和歌集』久保田淳 校注 新潮社