芸術のパトロン後白河院(上)六道絵(草紙)「院政期の絵画」展

 私が、秋とは言え最高気温33度の炎天下の奈良まで、「院政期の絵画」展(2007.9.1〜2007.9.30)を観に行く導火線となったのは、骨太の後白河院論を展開しつつ、志半ばで1994年に47歳で夭折した棚橋光男金沢大学文学部助教授の遺稿集「後白河法皇」(講談社選集メチエ)を読んだからであった。

 棚橋氏はその「後白河法皇」の中で、説話絵・合戦絵・記録絵・縁起絵、そして地獄草紙や病草紙を含む六道絵は、後白河院の時代に開花した新しいジャンルであり、後白河院をチーフプロデューサーとする工房で、当代の常盤光長を中心とする絵師集団が描いたと述べておられ、それ以来、何時か、後白河院パトロンとして産み出した作品を目にしたいと思っていた。

 そんな私の後白河院狂いを知る友人が、奈良国立博物館で開催中であった「院政期の絵画」展を知らせてくれ、これこそ後白河院院が関わった作品を網羅的に把握できるばかりか、院政期という時代の空気をヴィジュアルに捉える絶好の機会と、取る物も取り敢えず駆けつけたのだった。

 以下に、芸術のパトロンとして後白河院の関わったと見られる作品の中から、先ずは後白河院平清盛に造らせた蓮華法院(三十三間堂)宝蔵に納めた六道絵のうち、地獄草紙、餓鬼草紙、病草紙をピックアップしてみた。全て「院政期の絵画」展カタログより

(1)国宝 「地獄草紙」から(屎糞泥) 奈良国立博物館蔵 

 地獄の受苦を述べた「起世経」には八大地獄と周辺の十六地獄があると言われこの作品はその中の屎糞泥を表している。


 
(2)国宝 「餓鬼草紙」から 東京国立博物館

 六道のうち餓鬼道に堕ちた者は、汚穢のものを喰うか、食を得られなくなるなど、食に関する様々な苦痛を受けるとされている。



(3)国宝 「病草紙」から(二形の男) 京都国立博物館蔵 

 病草紙は様々な病気及び身体障害などを集成しており、絵では、当事者の苦しみだけでなく、その周囲で心配し苦しむ家族や、興味本位に眺めて嘲る傍観者の姿も描き、ぎょっとする位露骨な表現もあるが、人間観察の鋭さと深みを感じる。