『尊卑分脈』(※1)によれば、定長(寂蓮)は久安年間(1145〜1150)の末頃、藤原俊成の養子になっている。俊成には既に嫡男の成家がいたが、彼に歌道の御子左家(※2)を継がせるのは無理と見切りをつけ、当時12、3才ながら歌才の萌芽を見せ始…
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