天皇が崩御するまで皇嗣が決まらないこと自体が異例だが、崩御の翌日に決定したのが立太子を経ない部屋住みの29歳の壮年天皇の践祚と、その息子の親王宣下と同時の立太子というのは甚だ異例であった。 自分亡き後の美福門院の先行を考慮した鳥羽法皇が、雅…
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