日本の歴史上後白河院ほど毀誉褒貶の激しい人物は見当たらない。 十代の半ばから日がな一日今様を歌い暮らし、三度も喉を潰しながらも「今様狂い」と称されるほどの遊び人となり、父の鳥羽上皇からは「目に余る道楽者にて天皇の器量にはあらず」、兄の崇徳上…
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